ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

金総書記の濡れた手

 オーストリア・北朝鮮友好協会の副会長エデュアルト・クナップ氏と先日、会見する機会があった。会長のアドルフ・ピルツ氏が今月初めに亡くなったこともあって、友好協会は現在、活動停止状況にある。そこで副会長から今後の活動方針を聞き出そうと考えたのだ。
 クナップ氏は「ピルツ会長と私は今秋、平壌を再訪する予定だったが、会長が突然死去したので、この計画は無期延長となる」と述べると共に、同氏が初めて訪朝した時の体験を話してくれた。
 クナップ氏は1998年、友好協会のメンバー数人と共に訪朝した。駐オーストリアの金光燮大使の敬淑夫人(故金日成主席の娘)が金総書記との会見を取り持ってくれたこともあって、クナップ氏らは金総書記とわずかな時間だが会見することが出来たという。
 長テーブルだったこともあって、金総書記の顔がよく見えなかったが、会見が終わると金総書記が近づいてきて手を伸ばしてきたので、クナップ氏が握手に応じた時だ。同総書記の手は水が滴り落ちるほど汗で濡れていたのだ。クナップ氏は「正直言って、少々気持ちが悪かったが、随伴の北朝鮮人から『金総書記と握手した人はその手の温もりを失わないために、暫く手を洗わないものだ』と聞かされていた手前もあって、手を直ぐには拭くことができずに困った」と笑いながら語ってくれた。
 そして「金総書記がドイツ・ベルリン心臓センターの医者から手術を受けたと聞いたが、総書記は心臓以外にもどこか悪いのかもしれないね。手の発汗は異常だった」と説明した。
 同氏の話で興味をひいた点は、金夫人が友好協会の願いに応じて、金総書記に会見を求め、同総書記がそれに応じたという件だ。金夫人と金総書記は異母兄妹の関係だ。金総書記が金夫人の実弟、金平日氏(現駐ポーランド大使)の帰国を認めず、冷遇していることを考えると、金夫人への処遇の違いは面白い。ちなみに、金夫人は膝を悪くし、一時期は車椅子を利用していた。現在は治療の為に帰国中だ。
 クナップ氏によると、金大使は来月1日にはウィーンに戻ってくるという。「大使が戻ってくれば、友好協会の今後の方針のほか、新会長の選出問題などを話し合う考えだ」という。

懐かしい名前

 インターネットでニュースを追っていた時、国連開発計画(UNDP)が北朝鮮不正資金流出疑惑を解明するため外務監査を補佐する新たな外部調査団を発足したという記事が目に入った。そしてその責任者になんと「ハンガリーのネーメト元首相が就任する」というではないか。当方は驚きと共に懐かしさが込み上げてきた。
 東欧記者として共産諸国の取材で飛び歩いていた時、当方はミクローシュ・ネーメト首相と会見できる機会を与えられた。ハンガリー社会主義労働者党(共産党)は当時、東欧諸国の中でも民主化路線を先行していた。ネーメト首相は当時、東欧で最も若い首相として党改革派の旗手だった。改革派と保守派内で対立していた同党は1989年10月、党大会を開催して党路線を決定することになっていたのだ。
 当方は駐オーストリアのハンガリー大使館の知人を通じて首相府にインタビューを申し込んだ。ハンガリー党大会は単に同国の行くばかりか、東欧全般の民主化路線に大きな影響を及ぼす可能性を秘めていたからだ。だから、世界のメディアはハンガリー党大会の行方を追っていた。
 当方はネーメト首相にインタビューを申し込んだものの、「難しいだろうな」と考えていた。すると「直ぐにブタペストの首相府に来るように」という連絡が入ってきたのだ。当方は暫くこの朗報を信じる事ができなかったほどだ。
 歴史的な党大会の直前、当方はブタペストの首相府で改革派のトップ、ネーメト首相との単独会見が実現できたのだ。首相は「ハンガリーの民主化を継続する為に保守派とは決別をも辞さない」と決意を表明した。同首相の発言は世界の通信社を通じて流された。当方が住むオーストリアの代表紙「プレッセ」も1面で「ネーメト首相、日本の新聞社との会見で民主化の決意を表明した」と引用したほどだ。ネーメト首相の発言は当時、それほどインパクトがあったのだ。その後、ハンガリーを含む東欧の民主化は読者の皆さんもご存知のように、予想を越えた急テンプで進展していったのだ。
 首相を辞任したネーメト首相は一時、同国の有力な大統領候補者であったが、最終的には欧州復興開発銀行(EBRD)の副総裁に就任した。そこまでは知っていたが、ここ数年、同氏の名前をまったく聞かなかった。
 そのネーメト首相の名前が突然、現れたのだ。UNDPの北朝鮮事業費の不正流出疑惑解明の調査団長に就任したというニュースを見て、所在が分からなかった友人の居所を突然、聞いたような喜びと驚きを受けたのだ。
 それにしても、あのネーメト首相が今度は北朝鮮問題に関与するのだ。欧州の北朝鮮問題に強い関心を有する当方にとって、二重の喜びとなった。

子供部屋のテロリストたち

 アルプスの小国オーストリアで12日、同国国籍を有するアラブ系の3人(男2人、女1人)のテロ容疑者が逮捕された。彼らは今年3月、ドイツと共にオーストリアを名指しで「アフガニスタン駐留の同国軍を撤退させよ」と要求し、「応じない場合、オーストリアをテロの対象とする」という脅迫ビデオを流した容疑だ。同国内務省の調査によれば、少なくとも、主犯はアルカイダのドイツ語圏スポークスマンであった可能性があるという。彼らの2人が海外に出国する計画であったため、同国テロ対策部隊(通称「コブラ」と呼ぶ)が容疑者の自宅を襲撃して逮捕したという。
 脅迫ビデオ内容が報じられると、国民は少なからず衝撃を受けた。なぜならば、「わが国は対テロ戦争の舞台ではない」という変な確信が大多数の国民の中にあったからだ。しかし今度は、アルカイダのメンバーが国内に潜伏していたと知って、大げさに表現するならば、「国民は腰を抜かしている」といった状況だ。
 調査が進むうちに、テロリストたちのプロフィールが明らかになった。主犯のモハメット・M(22)は両親のアパートで妻(20、逮捕)と2人の弟たちと共に住んでいる。コブラがMの家に突入した時、マオハメット・Mと妻は子供部屋で休んでいた。だから、オーストリアの大衆紙「オーストライヒ」は14日、「テロ対策特別部隊、子供部屋に突入」と報じたほどだ。
 22歳のモハメット・Mは童顔だ。隣人たちは異口同音に、「あのような人の良い青年がテロリストとは」と答え、呆然としている。同国日刊紙は14日付で主犯の顔写真を掲載したが、写真を見る限りでは確かに童顔の青年であり、彼が欧州ドイツ語圏のアルカイダのスポークスマンとは直ぐには信じられないぐらいだ。
 内務省発表の情報によれば、3人は具体的なテロ計画を考えていなかった。モハメット・Mは「オーストリア・イスラム青年」(会員・約100人)のリーダーだ。内務省は同グループを過激なイスラム・グループとして監視してきた経緯がある。
 明確な点は、逮捕された3人はアラブ出身のイスラム系移民者の2世ということだ。英国、ドイツでも既に明らかになったが、オーストリアでもイスラム系移住者の2世が過激なイスラム教に接して、テロ信奉者となっていったことが明らかになったわけだ。
 当方は過去、当コラム欄で「ユーロ・イスラム」の重要性を指摘し、「狙われるユーロ・イスラム」と述べてきた。約1300万人と推定されるユーロ・イスラムは現在、インターネットなどを通じて過激なイスラム系テログループの思想攻勢にさらされているのだ。
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