ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

懐かしい名前

 インターネットでニュースを追っていた時、国連開発計画(UNDP)が北朝鮮不正資金流出疑惑を解明するため外務監査を補佐する新たな外部調査団を発足したという記事が目に入った。そしてその責任者になんと「ハンガリーのネーメト元首相が就任する」というではないか。当方は驚きと共に懐かしさが込み上げてきた。
 東欧記者として共産諸国の取材で飛び歩いていた時、当方はミクローシュ・ネーメト首相と会見できる機会を与えられた。ハンガリー社会主義労働者党(共産党)は当時、東欧諸国の中でも民主化路線を先行していた。ネーメト首相は当時、東欧で最も若い首相として党改革派の旗手だった。改革派と保守派内で対立していた同党は1989年10月、党大会を開催して党路線を決定することになっていたのだ。
 当方は駐オーストリアのハンガリー大使館の知人を通じて首相府にインタビューを申し込んだ。ハンガリー党大会は単に同国の行くばかりか、東欧全般の民主化路線に大きな影響を及ぼす可能性を秘めていたからだ。だから、世界のメディアはハンガリー党大会の行方を追っていた。
 当方はネーメト首相にインタビューを申し込んだものの、「難しいだろうな」と考えていた。すると「直ぐにブタペストの首相府に来るように」という連絡が入ってきたのだ。当方は暫くこの朗報を信じる事ができなかったほどだ。
 歴史的な党大会の直前、当方はブタペストの首相府で改革派のトップ、ネーメト首相との単独会見が実現できたのだ。首相は「ハンガリーの民主化を継続する為に保守派とは決別をも辞さない」と決意を表明した。同首相の発言は世界の通信社を通じて流された。当方が住むオーストリアの代表紙「プレッセ」も1面で「ネーメト首相、日本の新聞社との会見で民主化の決意を表明した」と引用したほどだ。ネーメト首相の発言は当時、それほどインパクトがあったのだ。その後、ハンガリーを含む東欧の民主化は読者の皆さんもご存知のように、予想を越えた急テンプで進展していったのだ。
 首相を辞任したネーメト首相は一時、同国の有力な大統領候補者であったが、最終的には欧州復興開発銀行(EBRD)の副総裁に就任した。そこまでは知っていたが、ここ数年、同氏の名前をまったく聞かなかった。
 そのネーメト首相の名前が突然、現れたのだ。UNDPの北朝鮮事業費の不正流出疑惑解明の調査団長に就任したというニュースを見て、所在が分からなかった友人の居所を突然、聞いたような喜びと驚きを受けたのだ。
 それにしても、あのネーメト首相が今度は北朝鮮問題に関与するのだ。欧州の北朝鮮問題に強い関心を有する当方にとって、二重の喜びとなった。

子供部屋のテロリストたち

 アルプスの小国オーストリアで12日、同国国籍を有するアラブ系の3人(男2人、女1人)のテロ容疑者が逮捕された。彼らは今年3月、ドイツと共にオーストリアを名指しで「アフガニスタン駐留の同国軍を撤退させよ」と要求し、「応じない場合、オーストリアをテロの対象とする」という脅迫ビデオを流した容疑だ。同国内務省の調査によれば、少なくとも、主犯はアルカイダのドイツ語圏スポークスマンであった可能性があるという。彼らの2人が海外に出国する計画であったため、同国テロ対策部隊(通称「コブラ」と呼ぶ)が容疑者の自宅を襲撃して逮捕したという。
 脅迫ビデオ内容が報じられると、国民は少なからず衝撃を受けた。なぜならば、「わが国は対テロ戦争の舞台ではない」という変な確信が大多数の国民の中にあったからだ。しかし今度は、アルカイダのメンバーが国内に潜伏していたと知って、大げさに表現するならば、「国民は腰を抜かしている」といった状況だ。
 調査が進むうちに、テロリストたちのプロフィールが明らかになった。主犯のモハメット・M(22)は両親のアパートで妻(20、逮捕)と2人の弟たちと共に住んでいる。コブラがMの家に突入した時、マオハメット・Mと妻は子供部屋で休んでいた。だから、オーストリアの大衆紙「オーストライヒ」は14日、「テロ対策特別部隊、子供部屋に突入」と報じたほどだ。
 22歳のモハメット・Mは童顔だ。隣人たちは異口同音に、「あのような人の良い青年がテロリストとは」と答え、呆然としている。同国日刊紙は14日付で主犯の顔写真を掲載したが、写真を見る限りでは確かに童顔の青年であり、彼が欧州ドイツ語圏のアルカイダのスポークスマンとは直ぐには信じられないぐらいだ。
 内務省発表の情報によれば、3人は具体的なテロ計画を考えていなかった。モハメット・Mは「オーストリア・イスラム青年」(会員・約100人)のリーダーだ。内務省は同グループを過激なイスラム・グループとして監視してきた経緯がある。
 明確な点は、逮捕された3人はアラブ出身のイスラム系移民者の2世ということだ。英国、ドイツでも既に明らかになったが、オーストリアでもイスラム系移住者の2世が過激なイスラム教に接して、テロ信奉者となっていったことが明らかになったわけだ。
 当方は過去、当コラム欄で「ユーロ・イスラム」の重要性を指摘し、「狙われるユーロ・イスラム」と述べてきた。約1300万人と推定されるユーロ・イスラムは現在、インターネットなどを通じて過激なイスラム系テログループの思想攻勢にさらされているのだ。

金総書記の肖像画と殉教者たち

 北朝鮮の国営朝鮮中央通信社(KCNA)は先日、「洪水で流された家族が金正日労働党総書記の肖像画を守るために必死となり、溺れる娘の命を失った」とか、「洪水で亡くなった犠牲者の懐にはビニールで保管された金総書記の肖像画が見つかった」を報じ、金総書記の肖像画を自分の命より大切に扱ったと、その行為を称える記事を発信した。
 KCNAの記事を読んで心が重たくなった。もし、この報道が事実とすれば、金総書記の肖像画のために娘を失った家族が存在し、金総書記の肖像画を守るために、自分を犠牲にした国民がいたわけだ。犠牲となった北朝鮮国民には申し訳ないが、このようなことは、北朝鮮以外の国で可能とはどうしても思えないのだ。それが心を重くする理由である。
 逆にいうならば、北朝鮮ではどうしてこのような事が可能なのだろうか。情報管理された社会で政府当局の一方的な情報だけを聞き続けるならば、その人間は当局の話を無条件で信じるようになるだろう。なぜならば、判断できる他の情報がないからだ。その意味で、金総書記の情報管理がいかに凄いかを物語っているといえる。
 それだけだろうか。米国宗教専門サイトが5月、「世界主要宗教の信者数」を発表したが、そこで北朝鮮の国是、主体思想を「宗教」と見なし、主体思想信者数を1900万人と推定、信者数で「世界第10位の宗教団体」と位置付けている。その数はユダヤ教徒(1400万人)よりも遥かに多い。共産主義イデオロギーが一種の偽宗教といわれて久しいが、主体思想が宗教体系を内包した思想というわけだ。
 それが正しいとすれば、教祖(金総書記)の肖像画は信者たち(国民)にとって聖画であり、尊いものとなる。必要ならば、自分の命を捨ててもそれを守ろうとするだろう。信者たちには、聖画のために命を犠牲にする殉教精神があるはずだ。
 そして殉教した信者の証は他の信者たちの信仰を鼓舞する上での絶好の教材となる。洪水で犠牲となった国民が金総書記の肖像画をビニールに入れて守っていた、というKCNAの記事は、同じような脈絡の中で理解すべきなのだろうか。

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