ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

ラテン語ミサを学ぶ聖職者たち

 ローマ・カトリック教会最高指導者ローマ法王ベネディクト16世は7月7日、ラテン語礼拝の復活を承認した法王答書を公表したが、同答書内容は今月14日、正式に発効された。
 それを受けて、各国のカトリック教会聖職者たちはラテン語礼拝に取り組む準備に入っているが、若い聖職者たちはラテン語礼拝廃止を決定した第2バチカン公会議(1962〜65年)以降の生まれが多く、「どのようにラテン語礼拝をしていいのか」と戸惑うケースが見られる。なにせ40年前の礼拝形式だ。ラテン語ミサを実際体験した聖職者たちは多くいない。
 そこで各教区でラテン語礼拝を学ぶ学習会が開かれているが、「日曜日のミサをラテン語で実施できるまでには訓練が必要だ」(ドイツ聖職者)といわれ、ラテン語ミサが実際行われるまで暫く時間がかかるだろうという。
 その一方、「教会の近代化を決めた第2バチカン公会議の精神を忘れ、公会議前に回帰することになる」として、聖職者の中にはラテン語礼拝の復帰に反対の聖職者たちがいる。例えば、バチカン法王庁のお膝元、イタリア南部のカセルタのノガロ司教は「ベネデイクト16世が承認した公会議前の礼拝の再現は認められるべきではない」と主張し、「ラテン語礼拝を復活する十分な理由はない。1962年前の礼拝形式は神と真の関係を構築するのに相応しくない」と強調しているほどだ。
 ベネディクト16世が7月、ラテン語ミサ=トリエント・ミサの復活を承認する法王自発教令を明らかにした時、バチカン内や教会内では、「ラテン語ミサの復活は時代錯誤で、信者離れが加速するだけだ」といった懸念の声も聞かれた。それに対し、同16世は当時、「ラテン語ミサに回帰するというより、カトリック教会の精神的糧となってきたラテン語ミサの素晴らしさを生かしたいだけだ」と説明している。すなわち、現行の礼拝ミサ形式を継続する一方、ラテン語ミサを承認するというわけだ。だから、ラテン語礼拝は義務ではなく、聖職者の自主的な判断に基づく、というのがバチカン側の説明だ。
 ちなみに、ラテン語ミサ復活の背景には、教会から破門された故ルフェーブル大司教らカトリック教会内の伝統主義者との関係修復の狙いがあるからだ、といわれている。カトリック教会の根本主義者、フランスのマルセル・ルフェーブル枢機卿が創設した聖職者グループ「兄弟ピウス10世会」はラテン語の礼拝を主張し、第2バチカン公会議の決定事項への署名を拒否する一方、教会の改革を主張する聖職者を「裏切り者」「教会を売る者」として激しく糾弾してきた。ルフェーブル枢機卿は当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世の強い説得を無視して4人の聖職者を任命したため、破門された。
 ベネディクト16世は法王に就任後、「兄弟ピウス10世会」の現リーダー、ベルナール・フェレイ司教と会談するなど、ラテン語ミサの復活に向け水面下で交渉を進めてきた経緯がある。

韓国、IAEA総会に最大使節団

 ウィーンの国際会議場で17日から21日まで5日間、国際原子力機関(IAEA)の第51回年次総会が開催中だ。理事会は35カ国代表だけが参加して協議するが、年次総会は加盟国144カ国が出席するIAEA最大規模の会議だ。意思決定機関の理事会とは異なり、年次総会は加盟国全てが参加して過去1年間の問題点などを話し合う。その意味で年次総会は理事会とは違い、加盟国の意見の交流の場ともいえる。
 さて、加盟国はその国力、財力、関心度に基づいて年次総会に使節団を派遣する。当方が入手した参加者リストから代表的な国の使節団の規模を紹介すると、なんと最大規模の使節団を派遣した国は韓国だった。金雨植副首相兼科学技術相を筆頭に43人の名前が連なる。それに次いで米国が35人、日本34人、ナイジェリア33人、ロシア32人、オーストリア31人、南アフリカ30人となっている。欧州連合(EU)の主要国では、英国は21人、フランス25人、ドイツ26人だ。参考までに、中国は20人に留まっている。韓国の派遣規模は大国・中国の2倍以上ということになる。
 日本は過去、50人を越える大規模使節団を年次総会に派遣したことがあるが、大多数のメンバーは総会初日だけ会議に顔を出し、後は市内見物や買物で時間を費やすケースが少なくなかった。そのため一部メディアから税金の無駄使い、といった批判の声が聞かれた。そのためかどうか知らないが、今回は韓国、米国に次いで第3番の規模だ。ちなみに、EU主要国よりも多くの使節団を派遣したオーストリアはウィーン国連のホスト国だ。だから、使節団の数が自然に膨らむのだろう。大多数の加盟国は駐オーストリアの自国外交官を含め3人から5人程度の参加だ。
 韓国が今回、大使節団の派遣となった背景について同国関係者に聞くと、「金副首相が会議に参加したため、その付き添い関係者が含まれたこと、技術関係者が多く出席したため」という。
 当方が韓国外交官に「貴国が今回の年次総会では最大規模の使節団をウィーンに派遣しましたね」というと、何事でも第1位が好きな国柄というわけでもないだろうが、「それには気が付かなかったね」といいながら、満更ではない、といった笑みをこぼした。

金総書記の濡れた手

 オーストリア・北朝鮮友好協会の副会長エデュアルト・クナップ氏と先日、会見する機会があった。会長のアドルフ・ピルツ氏が今月初めに亡くなったこともあって、友好協会は現在、活動停止状況にある。そこで副会長から今後の活動方針を聞き出そうと考えたのだ。
 クナップ氏は「ピルツ会長と私は今秋、平壌を再訪する予定だったが、会長が突然死去したので、この計画は無期延長となる」と述べると共に、同氏が初めて訪朝した時の体験を話してくれた。
 クナップ氏は1998年、友好協会のメンバー数人と共に訪朝した。駐オーストリアの金光燮大使の敬淑夫人(故金日成主席の娘)が金総書記との会見を取り持ってくれたこともあって、クナップ氏らは金総書記とわずかな時間だが会見することが出来たという。
 長テーブルだったこともあって、金総書記の顔がよく見えなかったが、会見が終わると金総書記が近づいてきて手を伸ばしてきたので、クナップ氏が握手に応じた時だ。同総書記の手は水が滴り落ちるほど汗で濡れていたのだ。クナップ氏は「正直言って、少々気持ちが悪かったが、随伴の北朝鮮人から『金総書記と握手した人はその手の温もりを失わないために、暫く手を洗わないものだ』と聞かされていた手前もあって、手を直ぐには拭くことができずに困った」と笑いながら語ってくれた。
 そして「金総書記がドイツ・ベルリン心臓センターの医者から手術を受けたと聞いたが、総書記は心臓以外にもどこか悪いのかもしれないね。手の発汗は異常だった」と説明した。
 同氏の話で興味をひいた点は、金夫人が友好協会の願いに応じて、金総書記に会見を求め、同総書記がそれに応じたという件だ。金夫人と金総書記は異母兄妹の関係だ。金総書記が金夫人の実弟、金平日氏(現駐ポーランド大使)の帰国を認めず、冷遇していることを考えると、金夫人への処遇の違いは面白い。ちなみに、金夫人は膝を悪くし、一時期は車椅子を利用していた。現在は治療の為に帰国中だ。
 クナップ氏によると、金大使は来月1日にはウィーンに戻ってくるという。「大使が戻ってくれば、友好協会の今後の方針のほか、新会長の選出問題などを話し合う考えだ」という。
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