ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

イラク特派員

 駐オーストリアのイラク大使館から再び昼食会の招待状が届いた。今回はオーストリアのメディア機関の編集次長級の記者たちが主に招かれた。タリク・アカラウィ大使がわざわざ当方に「君も来たらどうかね」と誘ってくれたので、喜んで出かけた次第だ。
 昼食会は堅苦しいものではなく、飲み物を楽しんだ後、別室に準備されていたブフェ形式の昼食が始まった。
 新聞やテレビで良く見かける記者たちがいたので、当方も名刺交換しながら交流した。ゲストの中に国営オーストリア放送のイラク特派員のフリードリッヒ・オルター氏がいた。夜のニュース番組でバグダッドから報道している花形記者だ。ウィーンにたまたま帰国中だという。そこでイラク取材の苦労話などを聞いてみた。
 「テロに遭遇する危険はいつもある。自分が住んでいるホテルのそばが爆弾を受けたことがある。テロ対策としては、テロリストにこちらの日程を知られないように車の走るルートを変えたり、帰宅の道を変えたりしている。イラクでは取材中、何が生じるか分からない。会社(オーストリア放送)は自分に生命保険をかけてくれているが、問題は拉致だ。テロリストは報道関係者と西側外交官の区別ができない。だから、プレス関係者が拉致される危険性は排除できない」と語り、「ただし、拉致には生命保険がきかないのだ」と付け加えた。
 同記者はバグダッドに駐在する前は旧ユーゴスラビアを担当してきた。ボスニア紛争では常に戦争地から報道してきた。
 そこで「イラク取材は会社からの要請ですか」と聞くと、「会社ではなく、自分から希望した」という。その理由を「報道機関に従事する者として、世界が注目する紛争地で取材したいという願いが強いんだ」と説明してくれた。
 同氏は今後、イラク北部でクルド系の動きを報道する予定という。特に、クルド労働者党(PKK)関係者とのインタビューを狙っているという。同氏の活躍を期待したい。
 ちなみに、ウイーンに本部を置く「国際新聞編集者協会」(IPI)によると、今年に入り、世界で22人のジャーナリストが取材中に殺害されている。犠牲者数ではオルター氏の任地イラクが最も多く、これまで14人のジャーナリストが犠牲となっている。

「東海」の国際化を狙う韓国

 「日本海呼称問題」に関する第13回国際会議が26日から2日間の日程でウィーン大学法学部の会議室で開催された。同会議は韓国東海協会、ウィーン大学韓国語学研究所、北東アジア歴史財団が主催し、韓国海洋学研究所、駐オーストリアの韓国大使館などが後援した。その意味で、「国際会議」と命名されているが、「日本海」は日本の朝鮮半島植民地時代の結果、呼称されたものに過ぎないから、本来の「東海」に改名すべきだと主張する韓国側の立場を鼓舞するために開かれた「一種のプロパガンダ会議」(会議参加者)というわけだ。
 会議参加者の80%は韓国の大学教授、政府関係者だ。残りは、ロシア、中国、ブルガリア、米国の学者の姿がみられただけだ。会議には日本側からは誰一人、参加していない。
 竹島(韓国名独島)問題と同様で、日本海呼称問題も日本と韓国両国間の主張は異なっている。日本側は「日本海の呼称が朝鮮半島植民地時代とはまったく関係がない。1602年には既に西洋に『日本海』との呼称が使用されている」と反論。それに対し、韓国側は「公海の呼称に特定の名前を使用するのは良くない。特に、日本海は日本帝国主義の覇権結果に基づくもので、歴史的な背景はない」と強調する、といった有様だ。
 報道関係者として同会議を傾聴した日本人の当方は、韓国人学者以外の意見を聞いてみたかった。当事者の議論はとかく主観的になりやすいからだ。そこで同会議に参加した米国人海洋地質学者、ノーマン・チェルキス氏(「日本海呼称問題」の元米政府調査担当者)に意見を聞いてみた。同氏は笑いながら「世界が学者と子供だけだったら、紛争は生じないのだが、政治が関与すると対立が生じてくるんですよ」と述べ、「自分としては日韓両国は妥協すべきだと思う。例えば、日本海を二つに分け、日本側に近い海を「日本海」に、韓国の側を「東海」と呼べばいいではないか」という。当方は「日本海の真中に線を付けるというが、その際、また新たな問題が生じないだろうか。世界地図の普遍性という観点からもみても、地域名や海の呼称は統一すべきだと思う」と反論した。同氏はまた笑いながら、今度は小声で、「君、知らないのか、呼称問題で最も喜んでいる者は地図作成業者だよ」と述べ、呼称問題も経済的利害が絡んでいると示唆したのだ。
 当方は会議でもらった膨大な資料を抱えながら帰途についた。それにしても、自国の主張を「国際化」するために、積極的な活動をする韓国側に改めて驚かされた。会議の休憩時間には、日本軍の慰安婦問題を糾弾するパンフレットも参加者に配られていたほどだ。
 ところで、会議場のウィーン大学法学部と日本大使館は20メートルほどしか離れていないのに、日本大使館からは誰一人、会議に顔を出さなかった、ということはどういうことだろうか。「東海」の国際化を目指して欧州で会議を開催する韓国側の行動力に対し、日本側の積極性のなさ、受身の姿勢に歯がゆさを覚えたほどだ。

大連立政権の蹉跌

 オーストリアの大連立政権は水と油の関係に近い政党間の“強制結婚”だったというべきかもしれない。もともと結婚すべきではなかったが、新政権の早期発足を望む世論に押され、意思に反して結びついてしまった。
 だから、というべきか、当然の結果というべきか、結婚後のハネムーン期間の百日間は安らかな時がほとんどなかった。対立と葛藤、後悔と批判の連続だった。選挙は終わって久しいが、政権内ではその延長戦が繰り広げられてきたのだ。
 オーストリアで昨年10月1日、総選挙が行われ、大方の予想に反して野党の社会民主党が第1党に復帰し、与党の国民党は第2党に後退した。しかし、社民党としても安定政権を発足するために政権パートナーが必要だ。そこでライバル政党の国民党に声をかけた。
 両党は101日間という同国史最長連立交渉記録を樹立後、今年1月11日、ようやく“結婚”にたどり着いた。しかし、先述したように、もともと相思相愛の関係ではないので、連立政権発足後のハネムーンの100日間(今月20日まで)は冷たい雨降りのような日々が続いたのだ。
 ユーロ戦闘機購入問題から学費問題、教育問題、社会福祉政策まで、社民党と国民党の間には政策と路線が違う。社民党はユーロ戦闘機購入契約を撤回させ、その浮いた金で学費全廃をカバーし、社会福祉分野の予算にあてたいと考える一方、国民党はユーロ戦闘機購入契約の堅持を主張し、社民党の選挙公約であった学費全廃に対しては強く拒否するなど、機会あるごとに対立してきた。
 そもそも首相に就任したグーゼンバウアー氏は社会党(社民党の前身)青年指導者時代、当時のソ連連邦を訪問した際、モスクワの第一歩を踏む大地にローマ法王のようにキスをしたほどの人物だ。社民党内でも左派に属する政治家だ。一方、国民党はドイツのキリスト教民主同盟(CDU)の姉妹党であり、経済界と強い繋がりのある保守派政党だ。
 隣国ドイツでも大連立政権だが、オーストリアでは社民党主導の大連立政権であり、CDU主導のドイツイ大連立政権とは異なる。大連立政権は安定政権として議会運営から法案成立までスムーズにいく利点がある。その一方、政策論争が少なくなり、連立政権内のジュニア政党がその存在感を発揮しにくく、表舞台に立つ第1党政党の影に隠れてしまう危険性が出てくる。独・社会民主党(PSD)がCDU主導の連立政権下で苦悩しているように、国民党は社民党主導の連立政権下で歯軋りをする機会が増えてきたわけだ。
 オーストリアの場合、離婚はもはや回避できないと見られる。問題はいつ離婚手続き(早期総選挙の実施)をするかだ。社民党も国民党も有権者の動向を注意深く分析しながら、離婚の申し出時期を模索するだろう。
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