ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

家庭教会は今日的「修道会」

 ローマ・カトリック教会総本山のバチカン法王庁奉献・使徒的生活会省長官のフランク・ロデ枢機卿によると、アジア諸国、特に、ベトナム、インドネシア、韓国、フィリピン、インド、そして中国で神に帰依するために修道会に入るよう召命を受ける人が増加しているという。
 修道会に入るとは、家庭を捨て、世俗的な人生を破棄して神に生涯を捧げることを意味する。それだけに、当事者は通常、真剣に祈り、考えて決心する(もちろん、修道院に入った後、そこから再び出て世俗社会に帰るケースも少なくない。当方も修道会を出て平信者として生活する元カトリック修道僧を知っている)。ローマ・カトリック教会では良く知られた修道会として、フランシスコ修道会、イエズス会、ドミニコ会などがある。
 ロデ枢機卿によると、アジア出身の修道僧や修道女には「深い霊性」がある一方、欧州や北米では修道会に入る人の数が減少しているという(ローマ・カトリック教会では現在、約100万人の修道僧、修道女がいるという)。
 日本では昔、貧しい家庭の子弟は寺に入り、そこで僧として訓練を受けながら、読み書きなどの学問を身につけることができた。欧州でも教会の修道会がその役割を果たしてきた。ちなみに、「野ばら」「冬の旅」「美しき水車小屋の娘」などを作曲したフランツ・シューベルトの場合、14人兄弟であったため、音楽の勉強を続けるために、修道会ではなく、教会の聖歌団のメンバーとなっている。ただし、「生活の為」とか、「勉強の為」という理由で修道会に入る人は今日、さすがに少ないだろう。
 ローマ・カトリック教会最高指導者ローマ法王べネディクト16世は昨年2月、一般謁見の席で、新約聖書の「使徒行伝」第18章2節と「ローマ人への手紙」第16章3節に言及しながら、「パウロはコリントでユダヤ人夫婦のアラクとその妻プリスキラに出会った。彼らは初期教会で重要な役割を果たした夫婦だ。夫婦の家には、多数の信者たちが集まった。家庭は集会場所であった」と述べ、キリスト信者の夫婦は「家庭教会」の役割を果たしていかなければならないと強調している。
 当方は、社会から隔離された修道会で神に帰依し、祈祷を捧げる時代は過ぎ、ベネディクト16世が強調したように、夫婦が「家庭教会」を築き、そこで神に帰依する時代圏に入っている、と考える。その意味で、「家庭教会」は今日的「修道会」ともいえるのではないだろうか。

北朝鮮観光の魅力を語る

 オーストリアの大手旅行会社「フェアケアスビューロ」の支店長、ヨハネス・スティヒ氏に会ってきた(「北朝鮮観光専門家との出会い」で紹介した人物だ。北朝鮮観光の専門家だ)。ウィーン市18区の同氏の事務所で北朝鮮観光について、その意見や訪朝談などを聞いた。以下は、同氏との会見内容の一部だ、

 ――オーストリアの北朝鮮観光はスティヒ氏のイニシアティブから始まったというが、なぜ、いま、北朝鮮観光に関心があるのか。
 「北朝鮮は世界でも稀に見る国だ。同国が今後も存続し続けるかどうか不確かだ。自分は世界を旅行してきたが、北朝鮮は知らなかった。だから、2年前に北朝鮮観光を初めて計画して旅行者とともに初訪朝した。これまで、3度、訪朝したが、いずれも忘れる事ができない感動を受けた」
 ――どのような人が北朝鮮観光に関心があるのか。
 「自分と同じように、これまで世界を見てきた人々だ。だから、まだ訪問したことがない北朝鮮を見てみたい、というのが最大の理由だろう。青年から恩給生活者まで訪朝旅行者の年齢には幅がある。マスゲーム公演『アリラン』を観覧したが、驚くというより感動すら覚えた。考えられない祭典だ。北朝鮮観光に伴うさまざまな制限を事前に知っておけば、あまり気にならない。白頭山や開城市にも行った。特に、南浦市のホテルは素晴らしいし、人々も素朴で共感がもてた」
 ――査証はベルリンで入手すると聞いたが、その理由を教えてほしい。
 「ベルリンには北朝鮮の高麗航空の事務所があるからだ。しかし、ウィーンの北朝鮮大使館が平壌から査証発行の権限を受けたから、今後はウィーンの北朝鮮大使館で査証を受ける予定だ」
 ――駐オーストリアの北朝鮮大使館では誰が窓口か。
 「李第3書記官だ。彼はドイツ語を話す」
 ――今年は4月と9月に北朝鮮観光が計画されているが、予定通り実施できるのか。
 「今年はアリラン祭典が4月に開催されないので、9月1度だけとなる可能性が高い。これまでに24人が北朝鮮観光を申し出てきている」
 ――欧州で北朝鮮観光を斡旋している旅行会社は他にもあるのか。
 「欧州で現在、北朝鮮旅行をオーガナイズしているのは自分とスペインのA氏の2人だけだ。自分は通常の観光業者だが、A氏は主に政治家や重要人物を北朝鮮に連れて行っている。A氏とは平壌でよく行き会った」

悲しき北朝鮮の海外労働者たち

 チェコ当局によれば、同国内の自動車部品工場で働いていた全ての北朝鮮労働者たちがまもなく帰国することになっている。ピーク時には400人から500人の北労働者がいたが、チェコ内務省が昨年1月、査証の新規発行、延期を中止したため、帰国を強いられたわけだ。「北朝鮮労働者の労働条件が国際規約に一致せず、労働者の人権を蹂躙している」というのがチェコ側の説明だ。
 例えば、米国のレフコウィツ北朝鮮人権特使は「国連決議に反して北朝鮮労働者を雇用し、北朝鮮の核開発を支援する一方、人権蹂躪を無視している」と、平壌当局主導の労働者派遣を受け入れる国々に対して厳しく批判してきた。
 海外で働く北朝鮮労働者数は2万人から最大7万人と推定されており、労働者が稼ぐ外貨は年間数千万ドルにも及ぶと見られている。派遣先は隣国ロシアと中国の他、クウェート、カタール、アラブ首長国連邦など、主に中東諸国だ。彼らは主に建設業に従事している。
 海外の北朝鮮労働者は稼いだ賃金の大部分を当局によって搾取され、残った100ドル以下の金を貯金して故郷に送金するが、その際も当局から手数料を取られる、といった具合だ。北朝鮮の海外労働者は「外貨を稼ぐ奴隷労働者だ」といわれるほどだ。
 ベルギーの首都ブリュッセルの欧州議会で2006年3月23日、北朝鮮人権問題の初の聴聞会(ヒヤリング)が開かれたことがある。欧州議会議員、非政府組織(NGO)関係者、報道関係者に混じって3人の脱北者が出席し、脱北者の現状を報告した。その中の1人、チェコにある北朝鮮会社の社長だった金タエサン氏(54)は「賃金の多くは政府に搾取されるが、それでもチェコでは食べることができるから、故郷に帰りたいと考える労働者は少なかった」と証言していた。ただし、亡命後の家族への影響について質問が出た時、金氏は「北朝鮮に2人の息子がいる。助け出してほしい」と苦渋に満ちた声で訴えた。その時の金氏の表情を今でも鮮明に思い出す。

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