ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

北朝鮮と「集団生活」

 北朝鮮外交官がメーデーの日(5月1日)、どのように過ごすのかを知りたくてウィーン14区の同国大使館に足を伸ばしてみた。同日はもちろん祝日だ。外交官用ベンツが中庭に並んで駐車している。どこからか歓声が聞こえる。目を裏庭にやると、外交官や留学生がバレーボールに興じているところだった。庭にはバレーボールのコートが常時ある。そういえば、故金日成主席の誕生日など祝日には、彼らは必ずと言っていいほどバレーボールをする。
 国際原子力機関(IAEA)担当のヒョン参事官や国連工業開発機関(UNIDO)担当の金第一書記官も学生たちと一緒になってプレーしている。初夏を思わす暖かい日の昼、外交官も日頃のストレスを忘れてスポーツを楽しんでいるのだろう。
 暫く彼らのプレーを見ながら、「彼らはいつでも集団で行動する。食事も買い物も1人で行くとことはめったにない」と思った。常に誰かと一緒だ。そういえば、ヒョン参事官がIAEAのハイノーネン査察局長(事務次長兼任)から昼食に招かれた時もホウ氏と呼ばれる駐ハンガリー担当外交官を伴っていた。
 音楽の都ウィーンには音楽大学で指揮やピアノを学んでいる同国留学生がいるが、彼らも1人では住んでいない。数人の留学生と住み、土曜日には大使館内で行われる学習会に一緒に出かける。
 国際オリンピック委員会(IOC)委員の張雄氏も国際テコンドー連盟(ITF)本部で他の北朝鮮事務員と住んでいる。金光燮大使(金正日労働党総書記の義弟)は郊外に一軒家を構えているが、そこでも金大使家庭だけが住んでいるわけではない、といった具合だ。
 ちなみに、金大使が1人でベンツ車を走らせている姿をみるようになったのはここ数年だ。それまで大使の車には何時も誰かが同乗していた。北朝鮮消息筋によれば、「金正日総書記の金大使への信頼が深まったから、1人で車を走らせても良くなったのだ」という。
 北朝鮮の外交官や学生は24時間、集団生活だ。仕事の時も余暇を楽しむ時も集団でする。個人主義が広がっている欧州社会で生活していると、北朝鮮人の集団生活に違和感を感じてしまう。
 集団生活は経済的には節約できるなどの利点がある。ただし、北朝鮮外交官や留学生が集団生活するのは経済的理由からだけではなく、相互監視という任務を課せられているからだ。参考までに付け加えると、ウィーンには1人で借家に住んでいる北朝鮮人がいる。金正日総書記の海外資金管理人の1人、権栄緑氏だ。これは明らかに例外的な立場であり、同氏が金総書記直接管轄下の人物であることを証明している。

イシマエルの印

 米バージニア工科大襲撃事件の犯人は腕に赤いインクで「イシマエルの斧」と書いていたという。それに対し、韓国の中央日報は「犯人は(父親アブラハムから追放された)孤独なイシマエルに共鳴していたのではないか」と報じている。それでは、犯人が共感していたというイシマエルとはどのような人物だったのか。
 旧約聖書の創世記を読むと、アブラハムは妻サラが子供を産まなかったので、エジプトの女奴隷ハガルとの間にイシマエルを生むが、その13年後、サラが妊娠しイサクを産む。すると、サラはイサクがイシマエルと共に成長するのを好まず、アブラハムはハガルとイシマエルを追放する。創世記では、神は「イサクに生まれる者が、あなたの子孫と唱えられるからです。しかし、はしための子供もあなたの子ですから、これも、1つの国民とします」と答えている。
 実際、イサクからヤコブとエソウが生まれ、ヤコブが後日、イスラエルとなる。一方、137歳まで生きたイシマエルの子らはハビラからエジプトの東、シュルまでの間に住んで、アシュルに及んだ。イシマエルは全ての兄弟の東に住んだ(創世記25章)。このようにして、イシマエルはアラブ民族の先祖となったわけだ。ちなみに、アブラハムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3大宗教の先祖だ。
 オランダ画家、レンブランド派のファブリティウスは「ハガルとイシマエルの追放」というテーマの作品を描いている。ハガルとイシマエルの物語は芸術家に多くのインスピレーションを与えている。
 さて、中央日報によると、韓国の専門家たちは犯人の言動について、「宗教を引き合いに出すことで、自身の蛮行を正当化しようとしている」と説明し、犯人の分裂症的気質を指摘するだけで、犯人とイシマエルとの関係については深く言及することを控えている。
 当方は、犯人が意識してか、無意識か分からないが、「イシマエルの斧」と書いたという事実に強い関心を引かれる。犯人はどのような心情世界をイシマエルに投射していたのだろうか。前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂犯人は後日、「自分はキリストの再臨だ」と述べ、教会関係者を驚かしたことがあるが、バージニア工科大襲撃犯人はキリストの再臨ではなく、イサクでもなく、イシマエルに何らかの繋がりを感じているのだ。犯人が残した「イシマエルの印」は時間の経過とともに一層、その謎を深めている。

平壌レストランと「工作員」

 北朝鮮がここにきて東南アジアでレストラン経営に乗り出しているという。その目的は外貨稼ぎという。
 欧州の南北38度線と呼ばれたウィーンで、冷戦時代、北朝鮮は「平壌レストラン」と呼ぶレストランを経営していたことがある。場所はウィーン市7区で、2004年6月に閉鎖した欧州唯一の北朝鮮直営銀行「金星銀行」があった建物の一角だ。
 タイ中部パタヤで開店された「平壌大成館」のように数百人収容可能な大レストランではなかったが、昼間はメニューを、夜はスペシャル料理を出してくれた。当方も数回、食べに行ったことがある。「オーストリア・北朝鮮友好協会」の総会も時たま、レストラン内で開催されたことがある。韓国旅行者が噂を聞いて、店に食べに来たこともあった。
 ところで、同レストランには李さんという名前のウェイターが働いていた(当方は李さんのフルネームを知らない)。流暢なドイツ語で客をもてなしていた。当時、既に50歳を越えていたのではないだろうか。
 当方が久しぶりに同レストランに行った時、その李さんの姿がない。他のウェイターに聞くと、「李さんは心臓病が悪化したので、帰国した」という。李さんの姿はウィーンから完全に消えてしまったのだ。
 当方が「平壌レストラン」の事をまったく忘れてしまっていた「ある日」、北朝鮮がケルンテン州ボルフスベルク市で「アジア治療センター」をオープンしたと聞いたので、現地に取材にいった。そこで「平壌レストラン」の李さんと会ったのだ。李さんは治療センター所長の通訳役をしていた。
 当方は「李さん、久しぶりですね。お元気ですか」と再会の挨拶をしたが、李さんは当方をチラッと見ると、「マズい人間に会ってしまった」といった表情をしながら、ただ頷くだけだった。李さんは平壌レストランを辞めてから他の仕事で欧州を動き回っていたのだ。李さんは有名な北朝鮮工作員だったのだ。欧州の北朝鮮問題の動向や海外居住の北朝鮮関係者の動きを監視するのが李さんの仕事だった。東南アジアで北朝鮮直営レストランがブームというが、レストラン関係者の中には李さんのような工作員が混じっていると見て間違いないだろう。
 なお、北朝鮮は欧州ではウィーンの「平壌レストラン」の他に、ハンガリーの首都ブタペストのドナウ河に船上レストランを開いていたが、「平壌レストラン」と同様、数年前に閉鎖している。東南アジアの北朝鮮レストランに比べ、欧州の同国レストランはもうひとつ人気が芳しくない。
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