ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

「ウクライナ敗戦論」が囁かれ出した

 戦況を含め、キーウから流れてくるウクライナ情報はここにきて余り芳しくはない。東部・南部での戦況でウクライナ軍の攻勢が停滞する一方、ゼレンスキー大統領の政治スタイルを「専制主義的」といった批判の声が国内の野党(例・キーウ市のビタリ・クリチコ市長)から飛び出し、ウクライナの政治エリート層の腐敗問題が欧米メディアで頻繁に報じられてきた。

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▲サウジを訪問し、ムハンマド皇太子と会談するロシアのプーチン大統領(2023年12月6日、ロシア大統領府公式サイトから)

 それだけではない。ウクライナが対ロシア戦で敗戦する危険性が出てきた、といったシナリオまで飛び出してきたのだ。ロシア軍は世界の軍事大国だ。「ウクライナ軍はこれまで善戦してきたが、ここにきて息切れしてきた」、「ロシア軍の抵抗に遭ってウクライナ軍の反攻は失敗した」といった類の軍事専門家の評価まで聞かれ出したのだ。「ウクライナの敗戦」予想は今年上半期では聞かれなかったシナリオだ。ロシア側の情報工作の成果だろうか。

 「ウクライナ敗戦シナリオ」が飛び出した直接の原因は、ウクライナ軍の守勢というより、同国への最大支援国・米国の連邦議会の混乱を反映したものだろう。米国がウクライナへの支援を停止した場合、といった前提に基づく予測だ。総額1105億ドルの米国の「国家安全保障補正予算」のうち約614億ドルがウクライナへの援助に充てられ、140億ドル相当がイスラエルへの援助に充てられていることになっているが、米共和党議員の中ではウクライナ支援の削減を要求する声が高まっているからだ。

 米共和党議員の中には、ウクライナ支援と難民政策をリンクさせ、「バイデン米政権がこれまで以上に強硬な難民政策を実施するならば……」といった条件を持ち出す者もいるのだ。共和党は現難民法を大幅に強化し、入国許可する移民数を減少させたい。

 共和党穏健派のミット・ロムニー議員は、「われわれはウクライナとイスラエルを支援したいが、そのためには民主党は国境開放を阻止する必要がある」と述べ、 共和党が補正予算を承認するかどうかは国境の安全問題の解決にかかっているというわけだ。

 民主党支持者の大多数はウクライナ支持に賛成している一方、共和党支持者の中で賛成しているのは少数だ。特にドナルド・トランプ前大統領の支持者らは支援を拒否している。来年11月の大統領選を控え、民主党・共和党両党とも選挙戦モードだ。

 ゼレンスキー大統領の首席補佐官アンドリー・イェルマック氏はワシントンでのイベントで、「米議会が支援をすぐに承認しなければ、ウクライナが戦争に負ける可能性が高い」と警鐘を鳴らしているほどた。また、ホワイトハウスは「ウクライナへの資金は年末までに枯渇する」と議会に警告している。バイデン米大統領は、「ウクライナ支援の削除は間違っている。米国の国益にも反する」と強調し、ウクライナ支援の履行を約束している。

 ウクライナ支援問題では、米国だけではなく、欧州諸国も揺れ出している。欧州連合(EU)27カ国で対ウクライナ支援で違いが出てきている。スロバキア、ハンガリーはウクライナへの武器支援を拒否し、オランダでも極右政党「自由党」が11月22日に実施された選挙で第一党となったばかり。もはや前政権と同様の支援は期待できない。欧州の盟主ドイツは国民経済がリセッション(景気後退)に陥り、財政危機に直面している。対ウクライナ支援でも変更を余儀なくされるかもしれない。

 欧州議会の中道右派「欧州人民党グループ」のマンフレッド・ウェーバー代表は、「ウクライナがこの戦争に負ければ平和はない。プーチン大統領は我々を攻撃し続けるだろう。プーチン大統領が移民を政治的武器として利用しているため、フィンランドは対ロシア国境を閉鎖している。バルト三国ではロシアからのサイバー攻撃が毎日見られ、スロバキアではロシアからのフェイクニュースが溢れている」と指摘、各国政府首脳に対し、「来週のEU首脳会議ではウクライナ支援の明確なシグナルを送る必要がある」と述べた。

 一方、プーチン大統領は11月27日、議会が既に承諾した2024年予算案に署名したばかりだ。同予算では国防費は前年度比で70%増額されている。GDP(国内総生産)に占める国防費の割合は6%。ウクライナ戦争の長期化に備えた準備と受け取られている。

 プーチン大統領は来年3月17日実施予定の大統領選での5選を目指して独走態勢を敷く一方、6日にはアラブ首長国連邦(UAE)とサウジアラビア両国を訪問するなど、積極的な外交を見せている。国際刑事裁判所(ICC、オランダ・ハーグ)が3月17日、プーチン大統領に戦争犯罪容疑で逮捕状を発布した時、プーチン氏には追い込まれたような困惑と危機感が見られたが、ここにきて余裕すら見せてきているのだ。

 以上、2023年の終わりを控え、ウクライナにとって2024年の予測は楽観的ではない。厳密にいえば、かなり悲観的だ。プーチン大統領と停戦・和平交渉に応じるか、それともクリミア半島を含む全被占領地をロシア軍から奪い返すまで戦争を継続するか、ゼレンスキー大統領は厳しい選択を強いられてきている。

「イスラエル」と「ユダヤ民族」の関係

 イランのマフムード・アフマディネジャド元大統領は2010年9月の国連総会で、「イスラエルを地上の地図から抹殺してしまえ」と暴言を発し、国際社会の反感を買ったことがあった。一方、パレスチナ自治区を実効支配しているイスラム過激テロ組織ハマスは10月7日、イスラエル領内に侵入して1200人余りのユダヤ人を虐殺し、200人以上を人質として拉致した。ハマスは「ユダヤ民族の撲滅」をその創設文に明記するテロ組織だ。

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▲国民向けに声明を発表するイスラエルのネタニヤフ首相(2023年12月5日、イスラエル首相府公式サイトから)

 両者に違いがあることに気が付く。イラン元大統領はシーア派のイスラム教徒であり、ハマスはスンニ派グループに属する。それだけではない。元大統領は「イスラエルを地上の地図から抹殺」と呼び掛け、後者は「ユダヤ民族の撲滅」を標榜していることだ。すなわち、憎悪の対象が前者は「イスラエル」であり、後者は「ユダヤ民族」の違いだ。一見、ささやかな違いのようだが、相違はある。

 イスラエルの呼称は旧約時代のヤコブまで遡る。旧約聖書の創世記によると、神はヤコブに「イスラエル」という呼称を与えている。

 神はサラにも1人の息子イサクを与える。そのイサクからヤコブが生まれた。ヤコブは母親の助けを受け、父イサクから神の祝福を受けた。そのため、イサクの長男エサウは弟ヤコブを憎み、殺そうとしたので、ヤコブは母親の兄ラバンの所に逃げる。そこで21年間、苦労しながら、家族と財産を得て、エサウがいる地に戻る。その途中、夢の中で天使と格闘し、勝利する。その時、神はヤコブに現れ、「イスラエル」という名称を与えたのだ。

 「あなたは、もはやヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」(創世記32章28節)と記述されている。「イスラ」は「戦う、支配する」を、「エル」は「神」を意味する。

 一方、「ユダヤ民族」はイスラエルの12部族の一つ、「ユダ部族」を指していた。ヤコブの12人の息子から始まったイスラエル民族はエジプトで約400年後、モーセに率いられ出エジプトし、その後カナンに入り、士師たちの時代を経て、サウル、ダビデ、ソロモンの3王時代に入ったが、神の教えに従わなかったイスラエル人は南北朝に分裂し、捕虜生活を余儀なくされる。北イスラエルはBC721年、アッシリア帝国の捕虜となり、南ユダ王国はバビロニアの王ネブカデネザルの捕虜となったが、バビロニアがペルシャとの戦いに敗北した結果、ペルシャ王クロスはBC538年、ユダヤ民族を解放し、エルサレムに帰還することを助けた。なぜ、ペルシャ王は当時捕虜だったユダヤ人を解放したかについて、旧約聖書のエズラ記に説明している。ユダヤ人という言葉は、バビロン捕囚以降、イスラエル12部族全体を指すようになった。

 このように説明すると、「イスラエル」と「ユダヤ民族」はほぼ同じ意味と受け取れるが、1948年に建国したイスラエルの人口構成をみると、3つの異なった出自がある。2022年5月のイスラエル中央統計局によると、.筌灰屬侶貪引く生粋のユダヤ人(約74%)、▲▲薀峽呂妊ぅ好薀┘觜饑劼鰺する国民(約21%)、キリスト教徒など少数派(5%)で、全人口は約950万人だ。だから、たとえ、ユダヤ人が全体の4分の3を占めているといっても、イスラエル=ユダヤ民族というわけにはいかないわけだ。

 イスラエルでユダヤ人と呼ばれるには母方の血統が問われる。母親がユダヤ人だったら、父親には関係なくユダヤ人と呼ばれる。ユダヤ民族は母親の血統重視なのだ。アブラハムを“信仰の祖”とするキリスト教やイスラム教は教えを広げようとするが、ユダヤ教には宣教という考えはない。なぜならば、ユダヤ人となるためには母親の血統が不可欠だからだ。

 興味深い点は、イスラエルでは18歳から男性(3年間)だけではなく、女性(2年間)も兵役義務があるが、それは主にユダヤ人国民だけを対象としたもので、キリスト教徒やアラブ系のイスラム系国民は兵役が免除されていることだ。国家の安全を守る兵役義務は他民族出身の国民には任されないという考えがその根底にあるのだろう。リベラルな国民が増えてきた現在のイスラエル社会ではキリスト教徒やアラブ系のイスラム系国民にも兵役義務を課すべきだという声が出ているという。

 参考までに、アフマディネジャド元大統領の「イスラエルを地上から抹殺」発言はユダヤ、アラブ系を含む全てのイスラエル国民の殺害を意図し、ハマスの「ユダヤ民族撲滅」宣言はイスラエル内の4分の3を占めるユダヤ人だけの抹殺を意味している、と解釈できるわけだ。

「ウィーン人権宣言」とモックさん

 「世界人権宣言」は1948年12月10日、パリで開催された国連第3回総会で採択されて今月10日で75周年を迎える。そして1993年6月25日には、ウィーンで「世界人権会議」が開催され、「世界人権宣言」の履行を監視するため、「ウィーン宣言および行動計画」として「ウィーン人権宣言」が採択された。

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▲オーストリアのアロイス・モック元外相

 「世界人権宣言」では、第1条「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」と記述され、第2条は「すべての人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる」と明記されている(「『世界人権宣言』と『親の不在』」2023年3月13日参考)。

 当方にとって、「世界人権宣言」と聞けば、ウィーンの「世界人権会議」の議長役を務めたアロイス・モック外相(当時、Alois Mock)が「ウィーン人権宣言」を掲げて喜びを表していた報道写真をどうしても思い出してしまう。今年はその「ウィーン人権宣言」採択30周年目だ。そこで同会議議長を務めたモック外相(当時)との思い出を少し振り返った。

 モック外相はオーストリアでは同国の欧州連合(EU)加盟(1995年1月)の立役者であり、「ミスター・ヨーロッパ」と呼ばれてきた政治家だ。オーストリアは当時、社会民主党と国民党の連立政権だった。社民党のフラニツキー首相のもとで国民党党首だったモックさんは外相としてオーストリアのEU加盟交渉でブリュッセルとウィーンの間を飛び回っていた。その激務が後日、モック外相の健康を害することになった。オーストリア日刊紙プレッセは「モック氏はわが国のEU加盟実現の代償として自分の健康を失った」と述べていた。

 当方は1989年9月15日、モックさんが外相時代、外務省執務室で単独会見した。それがモックさんとの最初の出会いだった。モックさんが健康を悪化させ、外相の立場を辞任する時、辞任記者会見には多くのジャーナリストたちが集まった。モックさんが別れを告げるとジャーナリストたちから握手が起きた。別れを告げる政治家に記者たちが暖かい拍手を送る、といったことはこれまでなかったことだ。

 当方が最後にモックさんと会見したのは、モックさんが国民党の名誉党首を務めていた時だ。モックさんは当時、既にパーキンソン症が進んでいて、会話も容易ではなかった。話すことも辛そうなモックさんの姿を見て。「会見すべきではなかった」という思いが湧き、モックさんに申し訳なさを感じた。会話は10分余りで切り上げたが、モックさんは最後まで当方の質問に一生懸命答えようとされていたのを憶えている。

 モックさんがパーキンソン病の治療のために政界から引退した後は、公の場に姿を見せることはほとんどなかった。エディト夫人との間には子供がいなかった。そして2017年6月1日、“ミスター・ヨーロッパ”は82歳で死去した。オーストリア国営放送は同日夜、プログラムを急きょ変更し、モックさんを追悼する番組を放映した(「さようなら“ミスター・ヨーロッパ”」2017年6月3日参考)。

 ところで、「世界人権宣言」75周年、そして「ウイーン人権宣言」の30周年の今年、世界の人権状況は改善されただろうか。中国や北朝鮮などの独裁国家では人権弾圧は続き、国際社会の追及には「内部干渉」という理由で反発するといった状況が続いている。例えば、中国共産党政権は 新疆ウイグル自治区の少数民族ウイグル人への人権弾圧問題が人権理事会でテーマとならないように加盟国に圧力をかける、といった具合だ。

 21世紀の世界情勢をみると、残念ながら世界至る所で人権が蹂躙されている。ロシアのプーチン大統領はウクライナを兄弟国と言いながら、ウクライナに軍事侵攻し、民間人を恣意的に殺害し、人間が生きていくうえで不可欠なインフラを破壊している。東方正教会のコンスタンティノープル総主教、バルソロメオス1世は、「ウクライナに対するロシアの戦争は『フラトリサイド戦争』(兄弟戦争)だ」と述べている。

 ところで、ドイツ司教協議会とドイツ福音主義教会(EKD)は世界的な「宗教の自由」に関する第3回の共同報告書を発表したことがあるが、EKDのペトラ・ボッセ=フーバー司教によると、同報告書は「宗教の自由」を例に挙げて普遍的な人権教育を推進するためのものという。同報告書の共同執筆者のハイナー・ビーレフェルト氏は、「『宗教の自由』なくして人権は完全となり得ない」「宗教の自由は社会の中心に位置すべきだ」と述べている(「『信教の自由』なき人権は完全に非ず」2023年7月7日参考)。

 人権の基本法といわれる「世界人権宣言」、その履行状況を管理する「ウィーン人権宣言」は法的な権限はないが、その意義は益々高まってきている。同時に、人権を無視し、蹂躙する独裁国家は依然、存続している。日本のような先進諸国の民主国家でも「信教の自由」が白昼堂々と蹂躙されているのだ。モックさんなら世界の人権状況をどのように評価するだろうか。
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