ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

「誤解された人々」への一考

 フョ―ドル・ドストエフスキーの「虐げられた人々」を昔読んで感動したことがあるが、歳を重ねるうちに、「誤解された人々」について関心が行くようになった。確かに、世の中には、その本意が相手に伝わらないために「誤解された人々」がいる。

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▲クリスマスシーズンを迎え、賑わうウィーン市内の商店街風景(2023年12月9日、撮影)

 「虐げられた人々」はその出自、経済力などによって、より強い立場の人から迫害を受けたり、過小評価されたりするが、「誤解された人々」は自身の考えを正しく表現できないという事情が多い。現代風にいえば、情報発信力の欠如、ないしは不十分、という事情が考えられる。

 「虐げられた人々」の場合、その運命の多くは相手の手に委ねられているが、「誤解される人々」の場合、誤解というサークルから脱出するために自力でその輪をクリアして、「理解される人々」に変身できるチャンスはある。その意味で、後者は自力救済の道があるわけだ。「誤解された人々」で最悪の道は自己憐憫の虜になって、「自分はいつも正しく評価されない」といった嘆きを連発することだ。

 「誤解された人々」といえば、やはり2000年前のイエスの生涯を思い出す。イエスは33歳の生涯で、はたして他者から正しく理解されたことがあっただろうか。家族でも母親マリアからイエスは正しく理解されただろうか。母親マリアに対し、「私の母とは、誰のことですか」(マタイによる福音書13章)と問い返している箇所がある。そのマリアを聖母の地位まで引き上げたのは、マリア自身の言動からではなく、その後の教会側の決定だったのだ。

 「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」( ルカによる福音書9章57〜58節)とイエスは嘆いたことがある。イエスの教えが当時の指導者たちに受け入れられていたら、そのようなことはなかっただろう。イエスは最終的には「悪魔の頭ベルゼブル」と酷評され、十字架の道を行かざるを得なかった。その意味で、イエスは「誤解された人」の人生を最後まで歩んだわけだ。

 ところで、イエスの誤解の人生はそれで終わらなかった。イエスにとって「誤解」は復活後も続いている。今度は「悪魔の頭」ではなく、「救い主」のイエスは人類の救済のために十字架の道を選んだというふうに、イエスの33歳の生涯が受け取られ出したのだ。
 イエスは33歳ではなく、もっと長く生き、神の御心を果たしたかったのではないだろうか。婚姻して家庭も築きたかったはずだ、というふうに理解されることはなかった。イエスは神の子として33歳でその生涯を終えるようにプログラミングされていたというのだ。イエスは生きていた時だけではなく、死後も誤解され続けている。イエスは「誤解された人」の代表ともいえるわけだ。

 イエスの場合、誤解の主因は情報の発信力ではない。イエスはエルサレムに上京して神のみ言葉を当時の指導者に熱心に伝えている。それでもその誤解は解かれることがなかった。イエスの場合、通常の人間が誤解されるケースとはもちろん違った状況がある。イエスの教えが当時の社会のそれとは整合せずに、拮抗していた。換言すれば、イエスは革命家のように受けとられたために、当時の社会の権力者たちはイエスを警戒し出したわけだ。中傷、誹謗もあって、イエスは社会を混乱させる人間だと誤解された。そのため、イエスの残された道は十字架しかなくなったわけだ。好んで十字架の道を選んだのではない。俗にいうと、十字架の道はイエスにとってプランBだったわけだ。

 「誤解されている人々」は、自身の本意を誤解している人に正しく伝える努力が必要だろう。ただ、それで「誤解」が解ければいいが、一層深刻な状況に陥るケースもある。人生を長く歩んでいると、そのような体験をする人が多いはずだ。

 私たちはイエスではない。「誤解」の結果、十字架の道を歩むことはない。誤解による被害を最小限度に抑制しながら、自己憐憫、犠牲者メンタリテ―の虜になることなく、誤解を創造的な人生を模索する上のエネルギー源として利用していくべきだろう。

 人を理解することは容易ではない。誤解されている人はひょっとしたら相手を誤解していないか自己チェックが必要だろう。相手を理解していこうと努力することで、自分への誤解を少しでもなくしていくべきだ。相手を理解した分、自分への誤解も少なくなるからだ。

クナイスル元外相の優雅なロシア生活

 ドイツのゲアハルト・シュレーダー元首相(首相在任1998年10月〜2005年11月)とオーストリアのカリン・クナイスル元外相(在任2017年12月〜19年6月)の2人は国際刑事裁判所(ICC、オランダ・ハーグ)から戦争犯罪人容疑で逮捕状が出ているプーチン大統領の支持者として知られている。両者とも久しくロシア国営企業の顧問料という名目でプーチン氏から経済的恩恵を受けてきたことでも知られている。それゆえに、両者とも出身国ばかりか、欧州諸国からは「好ましくない人物」と見られてきた。

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▲河野太郎外相と会合するクナイスル外相(いずれも当時)=2018年7月5日、オーストリア外務省内で撮影

 ところで、クナイスル元外相(58)は最近、BBCからインタビューを受けて、移住したロシアでの生活の近況などについて答えている。元外相の名前が世界に知られるようになったのは、クナイスル女史が2018年、同国南部シュタイアーマルク州で自身の結婚式を行った際、ゲストにロシアのプーチン大統領を招き、一緒にダンスするシーンが世界に流されたからだ。「プーチン氏と一緒に踊った外相」ということでその後、彼女の名前は常にプーチン氏と繋げられて報じられた。自身の結婚式にロシア大統領を招待すること自体、異例だ。そのプーチン氏とダンスする姿が報じられると、オーストリア国民も驚いた。

 クナイスル女史は任期期間が短かったこともあって、外相としてその能力を発揮する機会はほとんどなかった。クルツ国民党政権のジュニア政党、極右政党「自由党」から外相に抜擢されたが、自由党のハインツ・クリスティアン・シュトラーヒェ党首(当時副首相)の「イビザ騒動」が契機となってクルツ政権は崩壊した。クナイスル女史はわずか1年半の在任で外相職を失った。その後、プーチン氏とのダンスが縁となって2022年3月までロシア国営石油会社ロスネフチの新役員に就いていた。

 クナイスル元外相はプーチン氏から結婚のお祝いに時価5万ユーロ相当の高価なホワイトゴールドで飾ったサファイアのイヤリングをプレゼントされている。クナイスル元外相は外相辞任後もその高価な贈り物を私有していたため、オーストリア外務省は「外国の要人から得た贈り物は任期が終了すれば外務省に返還することになっている」と要求し、「私へのプライベートな贈り物だ」と主張するクナイスル女史と一時期争いがあった(最終的には外務省が保管することになった)。

 ちなみに、クナイスル女史はプーチン氏を招いて結婚式を挙行したが、その相手とは2020年4月に離婚している。外相職を失い、夫を失い、そして今、プーチン氏支持者と受け取られて、欧州諸国からはバッシングを受けてきた。いずれにしても、ロシアの独裁者プーチン氏と関係を深めた政治家は平穏な人生を送ることが難しいのは、シュレーダー氏だけではなく、クナイスル女史も同じだ。

 クナイスル女史は親ロシア派としてバッシングを受ける日々に直面、オーストリアで職が見つからなかったためにフランスのマルセイユ、そしてレバノンのベイルートに移動したが、最終的にはプーチン氏の出身都市サンクトペテルブルクに住み、同市の大学の分析センターを指導することになったわけだ。最近は、クナイスル女史のポニーがロシア軍用機でロシアに輸送されたことが国際メディアの話題を呼んだばかりだ。BBCは「オーストリアの元外相カリン・クナイスル氏はポニーとともにロシアへ移住した」と報じたほどだ。

 クナイスル女史はBBCとのインタビューで、「ロシアで今、快適に暮らしている」と述べ、サンクトペテルブルク大学の「学問の自由」を称賛し、「身近な環境で抑圧を経験していない。 ロシアで働く機会を得られたことに本当に感謝している」と語った。

 同女史はまた、欧米諸国の対ロシア制裁が「機能していない」、「対ロシア制裁が望ましい結果をもたらしていないことを多くの人が認めざるを得ない」と強調。プーチン大統領については「彼は最も知的な紳士だ」と高く評価している。ロシアのウクライナ侵略についてはこれまでの通り、何も批判していない。

 なお、クナイスル女史は、「オーストリアでは、私が現在ロシアの大学で働いているという理由で、私の国籍を剥奪するよう求める声が聞かれる。ウィキペディアによると、私は汚職、反逆罪、そして30年間KGBに勤務していたスパイ容疑で告発されている。この種の汚い中傷はすべて人生を破壊する。だから法的措置が講じられるまでは戻りたくない」と述べ、オーストリアに戻る可能性を否定している。

 クナイスル女史は英語やフランス語のほか、アラブ語の達人といわれている。イスラエルとパレスチナ自治区ガザのイスラム過激テロ組織ハマスとの間の戦争について、クナイスル女史の意見が聞けなかったことは残念だった。

カトリック教会の祝日が意味を失う時

 中欧のオーストリアはローマ・カトリック教国だ。8日はそのカトリック教会の祝日「聖母マリアの無原罪のみ宿り」だ。8月の「聖母マリアの被昇天」と共に、聖母マリアの2大祝日に当たる。1995年前まではその祝日に店を開いて商売すれば、労働組合から制裁を受けた。1990年代には、メディアでも「12月8日に店を開くことは容認されるか」で論争があったが、現在は店をオープンしていても労組から罰金を科せられることもないし、メディアも「12月8日論争」などには興味を示さなくなった。

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▲チロル州の教会風景(オーストリア国営放送のスクリーンショットから)

 スーパーの店舗のオーナーが12月8日にも店を開くと言えば、それでOKだ。ただ、REWEグループのスーパーは「店員のために祝日は店を閉じる」と決めている一方、オーストリアの大手スーパー「Spar」は開店時間を少し遅くし、閉店時間を少し早めるが、平日通り商売をする。12月に入れば、クリスマス商戦でどこの商店街も大賑わいだ。「聖母マリアの無原罪のみ宿り」の8日、店を閉じればそれだけ売り上げに響くため、店をオープンする傾向が年々増えている(12月8日は金曜日で公休日だから、土、日の週末を入れて3連休となる)。

 ところで、「聖母マリアの無原罪のみ宿り」の場合、1708年にクレメンス11世(在位1700〜21年)が世界の教会で認定し、1854年、ピウス9世(在位1846〜78年)によって正式に信仰箇条として宣言された。「マリアは神の恵みで原罪なくして生まれた」という教えだ。

 キリスト教会はカトリック教会でもプロテスタント系教会でも聖書が聖典だが、その聖書の中には聖母マリアの無原罪誕生に関する聖句は一切記述されていない。新約聖書「テモテへの第1の手紙」2章5節には、「神と人間との間の仲保者もただ1人であって、それはキリスト・イエスである」と記されている。聖母マリアを救い主イエスと同列視する教義(無原罪のみ宿り)は明らかに聖書の内容とは一致しない。

 にもかかわらず、カトリック教会は「聖母マリアの無原罪のみ宿り」を教義とするだけではなく、「聖母マリアの被昇天」と共に聖母マリアを称え、お祝いする。聖母マリアが無原罪で生まれたとすれば、罪なき神の子イエスと同じ立場となり、「第2のキリスト」という信仰告白が生まれてくる一方、キリストの救済使命の価値を薄める危険性が出てくるから、中世のトマス・アクィナスらスコラ学者は聖母マリアの無原罪説を否定してきた経緯がある。

 ちなみに、プロテスタント教会や正教会では聖母マリアを「神の子イエスの母親」として尊敬するが、聖母マリアを“第2のキリスト”と見なす聖母マリア信仰はない。ちなみに、マリアは父ヨアキムと母アンナの間に生まれたことになっている。

 カトリック教会はその後、イエスの母親マリアを聖化し、「聖母マリアの被昇天」、「聖母マリアの無原罪のみ宿り」という教義を打ち立て、聖母マリアを第2のキリストの地位まで奉ってきた。

 参考までに、ナチス・ドイツ政権時代、ヒトラーは12月8日の「聖母マリアの無原罪のみ宿り」の祝日を廃止した。「聖母マリアの祝日を休日とせずに、国民はもっと働くべきだ」というのがその理由だった。

 多くのカトリック信者はカトリック教会の教義にあまり関心がない。教義について、ああだこうだという人は聖職者か神学者、それに数少ないが聖書を通じて真理を探究する人々だけだろう。教会の礼拝に規則正しく参加する敬虔な信者は教義には関心を示さない一方、教会主催の慈善活動やコンサートなどイベントには小まめに参加する。教会は社交の場となっているのだ。

 当方が初めてオーストリア入りした1980年代初頭、カトリック信者数は同国人口の80%をはるかに超えていた。それがグロア枢機卿の教え子への性的虐待が発覚して以来、教会に背を向ける信者が年々増加し、今や人口の50%を辛うじて維持しているだけだ。人口の過半数を割るのはもはや時間の問題と見られている。

 12月8日の「聖母マリアの無原罪のみ宿り」の祝日に、教会ではミサなどが挙行されるが、信者を含め多くの国民はクリスマス用のプレゼント買いに奔走する。そして信者を含め大多数の国民は8日の「聖母マリア無原罪のみ宿り」がどのような意味を持っているかを深く考えることはない。12月8日は国民の休日であり続けるだろうが、カトリック教会の祝日としては既に意味を失っている。
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