ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

燻り続けるセルビア人の「反米感情」

 セルビアの首都ベオグラードで11日、数百人が旧陸軍司令部があった建物の取り壊しに反対する抗議活動を行った。同司令部建物は1999年のコソボ紛争中、北大西洋条約機構(NATO)空軍に爆破され、破壊されたが、セルビア政府は2005年、同司令部建物の残骸を保存するために文化遺産に指定した。しかし、セルビア議会が今月に入り、その取り壊しを認め、その後に高級ホテルを建設する計画を「重要なプロジェクト」と認定したため、国民の一部で批判の声が上がっている。

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▲ベオグラードへの空爆に向かう米軍F−15E,1999年3月28日、米国防総省提供

 旧陸軍司令部建物の取り壊し決定のニュースに油を注いだのは、トランプ米大統領の義理の息子、ジャレッド・クシュナー氏が所有する投資会社アフィニティ・パートナーズが旧陸軍司令部の敷地に高級ホテル複合施設を建設する計画だということが明らかになったことだ。メディアによると、クシュナー氏の投資会社はセルビア側との間で99年間の賃貸契約を締結したという。

  セルビアのヴチッチ大統領は、ホテル建設プロジェクトを擁護し、「我々は彼らに土地を与え、彼らは少なくとも6億5000万ユーロを投資する。これは我が国にとって巨額の投資だ。これは売却ではなく長期リース契約だ」と強調した。同大統領によると、「ベオグラードのあらゆるものの価値が高まり、さらに多くの観光客が訪れることになるだろう。このプロジェクトは即座に10億ユーロ以上の価値を生み出す」という。

 なぜ、一部のセルビア人が米投資会社による高級ホテル建設計画に強く反対するのかを理解するためには、コソボ紛争中のNATOのベオグラード空爆に遡る必要があるだろう。それはNATO軍の空爆がセルビア国民にトラウマとして反米感情の源流となっているからだ。

 ユーゴスラビア(現セルビア)内のコソボ自治州で、独立を求めるアルバニア人とセルビア人との間で武力衝突が激化した。セルビアのミロシェヴィッチ大統領(当時)が1989年、コソボの自治権を剥奪したことから紛争が勃発。コソボのアルバニア人に対するセルビア側による民族浄化や虐殺行為が報告され、多数の難民が発生した。NATOは1999年3月24日、セルビアの民族浄化の阻止と人道上の理由からベオグラード空爆(アライド・フォース作戦)を始めた。ちなみに、この空爆作戦の最中、米軍のB-2爆撃機が誤って在ベオグラード中国大使館を爆撃し、死傷者を出す事態も発生し、一時期、米中間の関係が悪化した。

 米軍が主導したNATO軍のベオグラード空爆は、セルビア人に強い反米感情を植え付けた。セルビアのインフラに大きな被害が生じ、多くのセルビア人が犠牲になった。そのうえ、国連安保理の承認を得ずにNATOが軍事行動を行ったこともあって、セルビア側の米国憎しの感情を生み出したわけだ。

 ところで、NATO空爆後の米国とセルビアとの関係は緩やかだが改善してきている。セルビアは2006年、NATOの「平和のためのパートナーシップ」に参加した。米国とセルビアの両国関係を大きく改善させたのは、トランプ大統領が2020年9月4日、敵対関係にあったセルビアとコソボの仲介に乗り出し、両国の経済関係を正常化する歴史的協定が実現したことだ。米国が調停したセルビアとコソボ間の合意は両国の欧州連合(EU)加盟への一歩前進と受け取られた。トランプ大統領の第一期目の大きな外交上の功績となった。

 ただし、米国とセルビア両国は、コソボの国家承認問題では依然対立している。米国はコソボの独立を承認しているが、セルビアは反対だ。また、セルビアがEU加盟を目指しつつロシアや中国との関係を強化しようとしていることもあって、セルビアの対米関係の完全な正常化までにはまだ遠い。

 トランプ大統領の娘婿クシュナー氏の旧陸軍司令部跡での高級ホテル建設計画がセルビア人の反米感情を刺激する契機となるか、セルビアの経済成長を支援するプロジェクトとして歓迎されるか、ここ暫くは注視しなければならない。

マムダニ氏の「民主社会主義」の実験

 米国で4日実施されたニューヨーク市長選、ニュージャージー、バージニアの両州知事選の選挙結果について、アメリカ・カトリック大学の政治学名誉教授、ジョン・ホワイト氏は「「3つの選挙に共通するのは有権者の最大の関心は生活費を含む経済問題だったことだ」(バチカンニュース6日)と指摘した。

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▲イスラム教徒で初のニューヨーク市長に選出されたゾーラン・マムダニ氏、ウィキぺディアから

 ニューヨーク市長選で当選したゾーラン・マムダム氏は選挙戦では「家賃の値上げ凍結、バス・保育の無料化、公営スーパーの運営、生活必需品・生鮮食品の価格抑制などを公約に掲げ、財源の一部は富裕層課税で賄う」と表明してきた。トランプ大統領にとって、マムダム氏の公約は「共産主義者の証」ということになるが、生活費の高騰に悩むNY市民の多くは同氏の公約を支持したわけだ。マムダム氏に対する「共産主義者」、「民主党極左の政治家」といった懸念に対して、多くの有権者は余り関心を示さなかった。

 米大統領選で共和党に大敗した民主党は2つの州知事選、そしてニューヨーク市長選を制したことから、民主党のカムバックといった声も出ている。ホワイト教授は「トランプ大統領はこの3つの選挙地では元々不人気だった、今回の選挙結果はそれを反映しただけだ」と冷静に受け取る一方、「トランプ氏の反移民政策は多くのアフリカ系アメリカ人やラテン系アメリカ人から敬遠された。大多数の有権者は、トランプ氏の移民政策は行き過ぎたと考えている」と説明。さらに、「経済政策、特にインフレ政策の失敗は民主党候補者に有利となった」と指摘した。

 興味深い点は、トランプ氏は昨年11月の大統領選でインフレ対策など労働者の不満を吸収する選挙作戦を展開して勝利したように、マムダニ氏も家賃の値上げ凍結、公共運輸機関の無料化など有権者に密着した生活問題をアピールして勝利した。その意味で、両者の選挙作戦は酷似しているのだ。

 ちなみに、ニューヨーク市長選で初めてイスラム系のマムダニ氏(34)が誕生したことについて、同じイスラム系のロンドンのサディク・カーン市長は「希望が勝利した」と評価している。一方、イスラエルの右派アミハイ・シクリ・ディアスポラ・反ユダヤ主義闘争相(リクード)は5日、ニューヨーク在住のユダヤ人に対しイスラエルへの移住を促し、マムダニ氏をパレスチナのイスラム組織ハマスの支持者だと糾弾した。

 ニューヨーク市はイスラエル以外では最も多くのユダヤ人(約160万人)が住んでいる都市だ。その都市のトップにイスラム系市長が選出されたわけで、ユダヤ人が警戒するのは理解できる。特に、パレスチナ自治区ガザのイスラム過激派テロ組織「ハマス」とイスラエル軍との戦闘が発生して以来、ニューヨークを含む米国各地で反イスラエル、反ユダヤ主義の言動が広がっている。トランプ氏は「マムダニ氏を支持するユダヤ人はバカ者だ」という一方、「マムダニ市長が運営するニューヨーク市に対して連邦資金を凍結する」と脅迫している。

 ところで、マムダニ氏は共産主義者だろうか。本人は「民主社会主義者」と主張している。そこで両者の違いについて、Chat AIに聞いた。それによると、「民主社会主義」とは、「民主主義の枠組みの中で、社会主義的な政策を実現しようとする政治思想で、共産主義のような革命やプロレタリア独裁を否定し、議会制民主主義を通じて平等や福祉の向上を目指す。具体的な内容としては、混合経済(公有と私有の共存)、市場経済の維持、充実した社会保障制度の構築、および市民的民主主義の徹底が特徴」という。

 第2次世界大戦後、冷戦下でファシズムや共産主義に反対する人々によって「民主社会主義」という言葉が普及した。かつては「社会民主主義」と同義で使われたが、現在は「社会民主主義の左派」を指すものと受け取られている。すなわち、「民主社会主義」は 社会民主主義よりも左派的、あるいはより急進的な社会変革を目指す立場といえる。米国では、バーニー・サンダース上院議員のように、社会民主主義的な政策を支持する人々が自らを「民主社会主義者」と称している、といった具合だ。

 民主党の問題は、サンダース氏、マムダニ氏のような民主党左派と2州知事選で勝利した候補者を含む民主党内穏健派に党内が分かれ、党として路線のコンセンサスがないことだ。

 ちなみに、トランプ米大統領は9日、政権の看板政策である高関税措置の収入を財源に、高所得者を除く全ての国民に1人当たり2000ドルを配布する考えを示した。トランプ氏の2000ドル支給案は決して驚きに値しない。、低下した支持率を回復するために一種のバラマキ政策ともいえるからだ。いずれにしても、選挙の行方を左右するのは、DEI(多様性、公平性、包括性)やジェンダー思想の是非を問う文化的、哲学的論争ではなく、ホワイト教授が指摘したように、「生活費を含む経済問題」だからだ。

 マムダニ氏が自身の政治信条を重視し、連邦政府との対立も辞さない強硬政策を行けば、富裕層やユダヤ人たちがニューヨークから去っていくだろう。そうなれば、市の財政も苦しくなる。来年1月に就任するマムダニ氏がどのような政治運営をするか、注目される。

バチカン版「ロミオとジュリエット」

 バチカンで「ロミオとジュリエット」と称されるラブストーリーが波紋を呼んだことがある。バチカン銀行(IOR)で働く若いカップルが結婚し,それを知ったバチカン銀行が「内部規則」を理由に2人を解雇したのが物語の発端だ。メディアでは「バチカン版ロミオとジュリエット」と呼ばれ、世界的なセンセーショナルを巻き起こした。幸い、イタリアの日刊紙「イル・メッサジェロ」が今月8日報じたところによると、関係者の間で和解が成立したという。

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▲バチカン版「ロメオとジュリエット」と報じるドイツの「カトリック通信」2024年9月5日

 バチカン銀行(「宗教事業協会」、「神の銀行」)に勤務していた若い2人は昨年9月結婚した。バチカン銀行は、表向きは「銀行活動の透明性と公平性」を確保するため、職員同士の結婚を禁じる規則を制定している。また、配偶者、親族、義理の親族の雇用が一般的に禁止されている。

 新婚夫婦は、どちらかが辞職するか、2人とも銀行から解雇されるかの選択を迫られた。2人は「婚約を昨年2月に発表した」と主張し、銀行側の要求を拒否した。職員間の結婚を禁じる規則は同年5月に制定されたばかりだった。バチカン銀行は2024年10月1日付で2人の雇用を解除した。

 2人の新婚カップルに助っ人がきた。バチカン一般職員協会(ADLV)は昨年9月5日、「バチカンにおける規則が秘跡よりも優先されないように願う」と指摘、結婚した故に解雇されたIORの2人の職員に連帯表明している。
 バチカン銀行の内部規則では、職員同士の結婚は禁じられている。この規則は、利益相反や縁故主義を防ぐためのものだ。 ADLVによれば、この件に関して最近バチカン銀行および教皇庁と協議が行われたが、不成功に終わったという。

 法的紛争は、両者側の和解で終結した。和解内容は、バチカン銀行のコンプライアンス規則を理由で解雇された2人の職員は今後も再びバチカンで働くことができる。ただし、裁判所で成立した合意では、夫婦のどちらかがバチカン銀行以外の機関に雇用されることが規定されているというのだ。ウィリアム・シェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」(初演1595年前後)では、主人公の2人は最後は亡くなるが、バチカン版の「ロメオとジュリエット」は一応、ハッピーエンドで幕を閉じた。

 ところで、神の愛を世界に向かって訴えているバチカンだが、ここにきて勤務する職員の中には待遇に不満を表明するケースが増えてきている。イタリアの日刊紙「コリエーレ・デラ・セラ」によると、バチカン美術館の従業員49人が昨年5月、バチカン市国政府に対して労働条件と賃金をめぐって集団訴訟を起こした。バチカン美術館は約700人の職員を雇用しており、その多くは美術館の警備員だ。ほぼ全員がイタリア国籍。美術館は年間約1億ユーロの収入を生み出しており、バチカン市国にとって最も重要な収入源となっている。

 ちなみに、レオ14世は5月、教皇庁職員全員に500ユーロのボーナス、退職者には300ユーロを支給することを承認した。前教皇が緊縮政策をアピールするために廃止した伝統的な”コンクラーベ・ボーナス”を復活させたわけだ。前教皇フランシスコが昨年11月、教皇庁の年金基金の改革計画を発表。それに対し、ADLVには不満が高まっていた。コンクラーベ・ボーナスの復活は緊縮予算下で苦しむバチカン職員への配慮と受け取られた。

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